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アユタヤ時代(アユタヤ後期)

前回に引き続きまして、アユタヤ時代についてお話をしていきます。今回は、アユタヤ時代後期についてです。

24代目から27代目までは、プラサートトーン王家の王が支配していました。24代目は、王家の名前と同じくプラサートトーン王でした。この王は、クメール式美術の再興や仏教の振興をはかったと言われています。また、以前ご紹介した日本人村を消滅させた王でもあります。ワット・チャイワッタラーナームやワット・マハータート(再建)、ワット・タンミカラートを建立したと言われています。

27代目の王であるナーラーイはフランス政策を推進し、1662年にはフランスのイエズス会に教会や学校の建設を許可しました。古典文学の基礎が作られたのもこの頃です。この王は天文学にも興味があったようで、月食や日食の観測を自ら行ったと言われています。St.Joseph教会が創建されたのもこの頃で、当時は日本人の神父もいたようです。

バーン・ブルールワン王家は、28代から33代目まで続きました。

特に、30代目のターイサ王のころは、アユタヤ王朝が最も安定した時期と言われています。安定時期の為か、王の趣味は釣りだったようで、この釣り好きから、ターイサ(池の端)と呼ばれていました。米の輸出も盛んに行われ、インドをはじめ中国やジャワなどへも輸出されていました。カンボジアを攻めたのもこの王です。この王の時代には、ワット・マヘーヨンやワット・クディダーオの改修も行われました。

31代目の王は、ボーロマコートです。この王の時代も、30代目に引き続き安定しておりました。スリランカ仏教の建て直しをはかった王としても知られています。また、ワット・スワン・ダララムという寺院が建てられました。この寺院は遺跡ではなく、現存する寺院です。

そして、ついに33代目エーカタット王の時代にアユタヤ王朝は滅亡してしまいます。1760年、ビルマのアラウンパヤー王がアユタヤを包囲します。そして、5年後の1765年にはシンビュシン王率いるビルマ軍が再びアユタヤを包囲します。1767年、4月7日アユタヤは滅亡となり、タイは分裂しました。

その後、1782年にチャプラヤー・チャクリーが王として即位することとなり、ラッタナコーシンという新しい王朝の時代が始まることとなります。

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